小谷野栄一 パニック障害

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ある日突然、打席に立てなくなる。

ザ!世界仰天ニュースで、小谷野栄一選手がこう語ってくれました。

小谷野栄一選手は、2002年のドラフト5巡目で、創価大学から日本ハムファイターズへ入団をされました。

小谷野栄一選手のポジションは、三塁手。二軍時代は、二塁手も守っていたようです。

小谷野栄一選手をパニック障害がおそったのが2006年のことです。

「自分は死ぬかもしれない。」

打席に立とうとした瞬間に、激しい動悸と心臓の高鳴りで小谷野栄一選手が思ったことです。

しかし、ひとたび彼がベンチへ戻るとスーッと症状がおさまり、バッターボックスでの失態が恥ずかしいと思えるくらいだったそうです。

死ぬ」という強い恐怖心は、どこから来たのか。
初めて、パニック発作が起こったときに、小谷野栄一選手は、恐怖心が頭から離れなかったようです。それが、パニック発作の始まりで、それ以来打席に立つのが突然怖くなってしまったようです。

普段は、いつもどおりの自分なのに、ひとたび打席に立つと死ぬよりも恐ろしい恐怖がおそいかかってくる。

この時の状態から、小谷野栄一選手は、もう野球ができなくなってしまったのではと思ったそうです。

小谷野栄一 パニック障害を克服

小谷野栄一選手は、パニック発作が始まってから野球を休業をして、実家へと帰りました。

小谷野栄一選手がパニック障害に苦しむ中で、支えとなったのは、親やチームメイトの言葉だったようです。

実家へ帰宅した小谷野栄一選手を支えてくれたのが彼のお母さんです。小谷野栄一選手の病気を知った母は、彼に野球のことを何も話さなかったそうなのです。

小谷野栄一選手にとって、このことが何よりの救いだったようです。

「もしうまくいかなくなったら、また実家に帰ってくればいい!!」

小谷野栄一選手のお母さんの言葉が彼に再び野球へと向かう勇気を与えてくれたのでしょう。

もし、小谷野栄一選手が実家に帰った時に、お母さんが励ましの言葉をかけたら
彼は、パニック障害から立ち直ることができなかったのかもしれません。

パニック障害のような、精神にかかわる症状は、本人の自覚も重要ですが、
周りの環境によって、回復することはやさが違ってくるのです。

「そのうちよくなるからがんばれ。」
「精神病は、甘えだ。」

このような言葉をかけられていたとしたら、小谷野栄一選手のパニック障害は、
もっとひどくなっていたでしょう。

一人で、乗り越えることができないからこそ、みんなで乗り越える。
パニック障害のことを知っている我々は、人に頼ることの大切さをすでに知っているのです。

あの比嘉大吾選手もパニック障害を発症した時期があったようです。その驚きの理由をご覧ください。